人生の山中にて

なんかあったら、書く

マチネの終わりまでの長い過去 「マチネの終わりに/平野啓一郎」

「ラストシーンが最高で賞」があるとすれば、どのような作品が思い浮かぶだろうか?

 

僕が真っ先に思い出すのは、「ジョー・ブラックをよろしく」だ。

あれほど、何度も観たくなるラストシーンはないのではないか。3時間夜更かしする価値は保証する。

 

過去は変えられる

 

さて、「マチネの終わりに」である。

本当に最高だった。

 

この物語は「過去は未来によって変えられる、変わってしまう」という言葉からはじまる、蒔野と洋子という40代男女の5年半にわたる恋の話だ。

 

そして、読者もこの二人の5年半をページをめくるという形で辿ることになる。

 

当たり前だろ。読書なのだからといいたくなるのはわかる。ただ、体験が違う。二人の時間を僕たちも同じように体感する。同じ時間を過ごした気になってしまうのだ。

 

 

物語はキザで、憎めない主人公である蒔野の過去は変えられるというフレーズから動き出す。

 

人は変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、これぐらい繊細で感じやすいものなのではないですか?

 

この言葉は、二人の関係が始まった瞬間の言葉である。なので、この瞬間。

 

二人の過去は存在しない。

 

惹かれ合うきっかけが、この言葉であることがこの物語を読み終わった人たちにとってどれだけ感慨深いものか。

 

そう、出会いの言葉がもうすでに予見しているのだ、変えられるべき過去を持つ二人の恋を。

 

「過去は変えられる」というとても魅力的な言葉は、この物語の中で何度も出てくる。とてもきれいな形で、知的に使われる。そして、その言葉はページをめくる読者にも実感として伝わる。伝わるように読んでしまう。

 

 

なぜか?

 

5年半の物語を読者はほとんど余すことなく一緒に読みすすむことになる。前半はとても魅力的な文章で何も考えずにサクサク読んでいける。しかし、半分読み終わった頃に読者は気づく。

 

蒔野と洋子の過去を作っているのは読者である私だ

 

 

5年半を回想もなく真っすぐ進んでいく、そして、互いが傷を追って、すれ違っていく。そんな理不尽の中でも、「過去は変えられる」という言葉が寄す処となり、二人の関係が改善してくことを読者は願う。願いながら、今読んだページを過去としてめくる。

 

読み進めるページは、“こうなって欲しい”であり、読んできたページは、“こうすればよかった”が並んでいく。ページを進めるたびに、二人の変えられるべき過去を読者は作っていく。

 

ページを進めることが物語を進めることだという当たり前の事を強く意識してしまう。そして、自分が進める物語が。理不尽にさいなまれるのだ。

 

そして、後半戦も後半戦。重要人物がこのように洋子を諭す。

 

自由意志というのは、未来に対してなくてはならない希望だ。自分には、何かが出来たはずだと、人間は信じる必要がある。そうだね? しかし洋子、だからこそ、過去に対しては悔恨となる。何かできたはずではなかったか。と。 
運命論の方が慰めになることもある。

 

二人が作ってきた(読者たちがめくってきた)過去は運命論として見てしまえば、何も変化を期待できない、運命として処理されるただの記録なのだ。しかし、洋子はこの重要人物との会話によって過去は変えられるという思いを強くする。
 
現実はだから、過去と未来との矛盾そのものね。

 

だから、今よ、間違ってなかったって言えるのは。今、この瞬間。私の過去を変えてくれた今。

 

読者は、何度も運命論にくじかれそうになり、私がめくってきたページが無駄になってしまうのではないか?と思いながらここまで「変えられるはずの過去」としてページを進めてきた。
このシーンでやっと、確信する。安堵する。最初からわかっていたが、「この過去は変えられる。」のだと。
 
このシーン以降、聡明で知的な洋子が、ラストに向かっていくその歩みをただただ涙しながら、安堵し、予定調和だとわかりながらページをめくっていく。
 
 

これほど、ラストに向けて自分が物語を進めていると思った小説はなかった。いや、自分が読んでいるのだから、物語をすすめるのは自分なのだけれど。ラストだって、ほとんどわかっている。タイトルが「マチネの終わり」なんのだから。

こんな読書体験は本当に初めてだった。

みなさんも、読んでいただきたい。映画が公開される前に。(映画版は、石田ゆり子福山雅治が主演です。)

 f:id:yamayu7349:20190702204121j:image

 

是非に。
 

(2019年7月2日更新)

 

2017年に出会ったおすすめ曲TOP10

 
や「さぁ、去年から恒例になってしまいました。その年に出会ったおすすめの楽曲を紹介するコーナーですが。
 
やまゆーさん。今年はどうなんですか?噂によると社会人になってからCDをよく買うようになったと聞きましたが。」
 
 
 
まゆー「そうなんです!!!!
 
CDも、iTunesでの音源購入もかなりやりました。社会人万歳です。
 
そして、何より!今年は!City Hip Popというジャンルに出会ったのが去年のJAZZ並みに大きな出会いでした。
 
高校の山中から、ラップを聞いてる。と言ったら。驚いて概念になりますよ概念に!!」
 
 
この形式めんどいのでやめますが、今年も張り切って紹介します!
 
というわけで一曲目!
 
 
1.あるいは夢眠ねむという概念へのサクシード/ MOSAIC.WAV× 夢眠ねむ× 夢眠ネム 
でんぱ組 ink夢眠ねむボーカロイドである「VOCALOID4 Library夢眠ネム」を使ったアルバム『VOCALOID夢眠ネムの最後の曲。何がすごいって。この最後の曲だけ、夢眠ねむの生声と夢眠ネムが共演するという、本当に2次元に3次元が溶け出してるんちゃうんかと。概念になりますよ。本当に。リンクはアルバムの紹介動画です。ボカロ好きの人是非に!
 
 
2.ROOM VACATION feat. 唾奇&おかもとえみ
今年最も聞いた曲です。間違いなく。マンハッタンレコードから出ている「CITY HIP POP MIX – Special Chapter – mixed by DJ HASEBE」というアルバムのリード曲。おかもとえみの綺麗な声のイントロだけでノれてしまう。このアルバムから何曲か紹介しますがどれも本当にいい曲!アルバム貸すので、共感してくれる人求む!
 
 
 
 
3.ナイトグルーブ/iri
今年出会ったアーティストの中で一番紹介したいアーティストです。声が大人っぽくてねっとりしてる。何歌ってもクラブみたいになっちゃうアーティスト。(クラブには行ったことない。)
夜がとても似合う曲で、山中三大夜曲(ナイトフィッシングイズグッド、クロノスタシス、夜にダンス)に匹敵する。ただ、YouTubeにはアコースティック版しかないのです。同じ雰囲気の曲としては、「rhythm」って曲があります。どっちもリンク載せときます。
 
iri - Night groove
 
iri - 「rhythm」
 
 
4.LAST DANCE/きのこ帝国
また、きのこ帝国の名曲を見つけてしまった。しかし、、この名曲。YouTubeに上がってないのです!!!!なんてこった!どうしたらいいんだ!
大丈夫だ!さっき話したCITY HIP POP MIX – Special Chapter – mixed by DJ HASEBE」に入ってる!みんな買ってくれ!!
 
5.煙と唾/Ghost like girlfriend
 
ノれる。サビの盛り上がりとボーカルの高音でやられてしまう曲。全く知らない人たちだったけど、さっき話したCity hip〜の中に入っていた曲で。アルバムの中でSuchmosのMINTが次に続くんだけど。繋ぎもめちゃくちゃ良くて。是非
聞いてほしい。他の曲だと「fallin'」がPV含めてかっこいい。
 
煙と唾/Ghost like girlfriend
 
Ghost like girlfriend「fallin'」 
 
まだまだ、Enjoy Music Clubとか、Tokyo health clubとかもとても好きなのだけどHip PopばっかになっちゃうのでこれでCITY HIP POP MIX – Special Chapter – mixed by DJ HASEBE」からばっかりになるのでこっからは違うアルバムからにします。みんな買って!
 
 
6.I could have dance all night/Shelly Manne&His Friends
 
Jazzです。
イントロが鬼かっこいい。
それに尽きる。
古い曲ってめちゃくちゃ安くてどんだけコスパ高いねん。。って思う。タワレコで結局3枚で2000円とかで売ってる。
ピアノのJazzの曲を誰か俺にオススメしてくれ!
 
 
7.orbit/toconoma
 
toconomaの新しいアルバムNEWTOWNのリード曲。といっても聞いたのは去年ですね。
NEWTOWNは今までのギターがガリガリ攻めてくる曲が少なく、明るいピアノがメインでギターは黒子みたいな曲が多いのですが。
obitはギター、ベース、ピアノ、ドラム全員が攻めてる曲。ベースがスラップで入ったり、キーボードがキラキラしてたり。次のアルバムはもっとギター攻めてええんやで!
 
 
 
8.オーケストラ/BiSH
 
おお?これも今年か?もしや。BiSHというアイドルがいまして。
2人歌が上手い子がいて、片方がすごい低くてハスキーな声でもう1人がピュアな声で。2人のギャップとハスキーの方のサビでの盛り上がりがマジで泣いてしまうやつなんです。一回聞いてください。
 
 
9.ビビビ/フレンズ
 
とか言ってたら、この曲が入ったアルバムも今年でした。フレンズは去年の「夜にダンス」に引き続き大好きです!新しいミニアルバムが出てるのでそれもほしいんですけど、タワレコで売ってないんですよね。是非、フレンズ聞いてください!
 
 
10.Castaway/the band apart
最後は、いつもいつでもイントロカッコすぎるバンドthe band apartです。新しいアルバムの曲ですけど、ベースがいつもながらとんでもなくかっこいい。これは借りたのだけど。どの曲もイントロカッコ良すぎるのはなんなんでしょうかね。バンアパは。
 
 
 
 
以上になります!なげぇー!
一応全部違うアーティストで出せた。。よかった。。
 
来年も良い音楽に出会えれば、いいなと思います。
 
良いお年をお迎えください。
 
やまゆーでした。
 
 
 

バイオ7の恐怖という魅力

 

ゲームの話をするとき、就活で任天堂の説明会に行った時の君島社長の言葉を思い出す。


『ゲームは飽きられる。これは宿命なのです。だから、新しい楽しさを常に追求しなければならない。』


シリーズ物のゲームは、この宿命を否応なく背負わされる。

ゼルダの伝説シリーズを見ればわかる。
ファミコンスーファミ、GBの2Dゼルダ→時オカの3D化→Willからの剣を振るなどの加速度センサギミック→BoWのオープンワールド

 

同じシステムの中での新しいギミック(ムジュラの3日間システム、バイオ3のネメシスとか)では、ゲーマーの飽きは止められない。

 

ゲームシステムの改変が必ず必要になる。(その点、ポケモンって同じシステムで新しい客に常に供給する戦略なのかも)


バイオハザードも同じ宿命を背負っている。

第1段階:バイオ0-3、コードベロニカ→第2段階:バイオ4-6、リベレーションズ→第3段階:バイオ7

と、大きくシステムが変わる。(アウトブレイクは、1.2段階の間ぐらい)
いつも評価されるのはシステム改変後最初の作品。つまり、バイオ1、バイオ4、バイオ7である。


特に、バイオ4のシステムの改変はカプコンにとってかなりでかい話だったというのを当時のファミ通で読んだ。
結果はゲーマーから大絶賛だったのだけど、そのせいでバイオ5、6については4を越えることをかなり苦心して作られたそうだ。

第2段階では、第1段階からプレイヤーの視点が大きく変わり、キャラクター追従の第三者視点TPS(操作するキャラクターの後ろをぴったりくっついて歩く視点)になった。また、射撃時は、一人称のFPS視点になった事で、視点切り替えが必要となり『全体を把握する』『狙いを定める』という事の重要度がゲーム内で増した。


その結果、アクション性が上がり『マップや、敵全体を把握し、効率よく動く』という事を楽しむゲームになったと思う。

その象徴として、第2段階には時間内に多くの敵を倒して点数を競うオプションモード(マーセナリーモード)が存在し、今でもこれを競うプレイヤーがいる。

そして、もう1つ大きな違いは主人公はミッションを持って現地に乗り込む。それまでのシリーズは全て脱出が目的で、逃げている間に、事件の全容が明かされていたのに対して、救出とか原因の究明とか主人公がミッションをもっている。

そのためなのか、第2段階はストーリーがかなり練られている。というか全体のストーリーを進行させようとする。コナンでいう黒の組織が出てくる回のように、第1段階でバラバラに散りばめたバイオ全体のストーリーがかなり進行する。

 

第2段階は、こんな特徴があるので、バイオのストーリー全体像が知りたいバイオのコアファンやFPSゲームが好きなファンには待ち焦がれる作品となったが、5.6と作品が出る中で、ホラーゲームとしてのバイオが好きな人や、新しいゲームを待っている人達にはだんだん飽きられていったように思う。(山中は、5.6やってないのでかなり偉そうな物言いだけど。)

 

そんな中、バイオ7である。(やっと本題にたどり着いた。。)

はじめに。
バイオ7めちゃくちゃ好きです。システムと数人の敵キャラに労力を全振りしてる感じで荒いし、ボリュームもそんなないけれど、完全に心持ってかれました。別にそんなにゲームの数やってないんだけどね俺自体。

何が面白いって、怖い!とにかく怖さを追求している。ここに関しては、ホラーゲーム結構やってる人達にとってはパクリが多いとか色々言われているみたいだけど、PRで散々怖さを煽ったのに、期待以上の怖さだと思う。

さらに、その怖さがシリーズ第一段階の怖さと似てるところが、『あ、これはバイオハザードだ。』と思わせる。

シリーズ第1段階は、固定視点と言って監視カメラから覗いたような視点でキャラクターを動かす。なので、視点の切り替え先に敵がいる事が切り替わるまでわからない。この視点が切り替わる通路の角を曲がる怖さ、ドアを開ける怖さがバイオ1の怖さの1つだった。

また、第2段階では、弾薬や回復薬だどの資源の枯渇が起こることはほとんどなかったが第1段階では、資源が無くなって詰む事があった。(実際詰んだこともある)さらに、アイテム欄も限られており常に何を持っていくか?という判断を迫られる。

第1段階は、これらの要素でホラーゲーム・サバイバル・脱出というキーワードが合うゲームだった。


バイオ7はここに回帰する。しかし、第1段階と違う事が2つある。


1つ目は、グラフィックと音の質の向上である。特に、音が本当に怖い。イアホンをずっとしてやっていたけど、そもそもの生活音(ハエの音、風の音)、ドアの開け閉めの音、敵キャラの声が、操作キャラクターからどの方向、距離感なのかわかるレベルで聞こえる。

だから、敵キャラと遭遇しないために音をかなり注意して聞くことになるのだけど、集中して聞けば聞くほどランダムで入る生活音でびびりまくる。


この音の質の向上で、何かがいる事が分かってるが見えない角を曲がらなければならないシリーズ第1段階の怖さを濃縮した感じになって襲いかかってくる。

グラフィックの進化はFPS視点も相乗効果となり、匂いがして来るほどのリアルさで近づいてく。


2つ目は視点である。バイオ7は、FPS視点。つまり、第一人称視点でキャラを操作することになる。この恐怖は、第1段階と比べ物にならない。

そもそものキャラクターへの没入感が固定視点より段違いだし、敵キャラとの距離感が全然違う。敵からの攻撃は『ダメージを受ける事』と、割り切れない怖さがある。

また、FPSは視点のせいで、何度も何度も後ろを振り返ることになる。ゲームの中にもかかわらず。
第2段階でも、振り返ることはあったが、あくまで効率よく動くための全体把握のために振り返っていた。
しかし、7は『怖いから振り返ってしまう』のである。夜の道を何度も振り返るような、感覚で振り返る。しかも、振り返るのが遅すぎてもう死ぬほど怖い。

こんな、怖いものがどこからくるかわからない状態で自身の動かすキャラクターの影や手が一定のタイミングで突然映り込む。しかも、高いグラフィックで。


最終的に、何も動きたくなくなる。まで、いってしまう。


基本的にゲームは、テレビゲームに限らず、クリアへの障害に対して効率的な解決策を見つけてそれを試してクリアしていく。

しかし、バイオ7の場合、恐怖を克服することが効率的な解決策になる。これは人間の性質まで遡って解決するものだ。


だから、初見のプレーではとんでもなく下手くそになる。恐怖のせいで。これは、第2段階のバイオシリーズで操作に慣れたプレイヤーにとっても同じである。恐怖という要素は、プレイヤースキル関係なく、平等にプレイヤーに与えられる障害になる。これはホラーゲームならではのものだ。


僕は、この恐怖による障害によって、バイオ7は完全にゲームとしての面白さが第2段階を凌駕してると思っていて、もうシステムが変わったとかいう問題じゃなく、違う問題解決をしないといけないゲームになってしまった。いかに、恐怖を楽しみながらプレーに集中するかという要素がすごく強くなったのである。


さらに言えば、PSVRでプレーしたらその恐怖は10倍であるとレビューがあり、従来のプレースキルどころではない。


バイオシリーズはメインシリーズ3作ごとにシステムが変わる。つまり、バイオ8はこのシステムの中でさらに恐怖を充実させてくるわけである。


どんな結果になるにせよ楽しみでならない。VRやMRは個人の能力、特に運動能力に依存するゲームを作り出しているがバイオ7の恐怖による障害は、個人の性格や感受性に依存するゲームなのかもしれない。

これまで、プレイヤーに平等に与えられていたゲームが、プレイヤーの性格や運動能力に依存してくるのはちょっと嫌な部分もあるけれど。新しいゲームの形として面白いものがどんどん出てきてほしいなと。バイオ7をやって思った次第です。

以上

 

ポジティブよりもナルシストを目指すべき

おはようございます。おはようございます。山中です。
研修が、日によっては、茶番すぎるだろ。ふざけんな。だったり、素晴らしいなこの講師だったりな生活です。
 
2週間が過ぎましたが、研修には付き物の『新社会人に向けたアドバイス』みたいなものが最後にくっついている講義をめちゃ受けてます。その中でも、「人間関係・信頼・信用」「ポジティブシンキング」の二つの頻出度合いがかなり高いです。いや、大事だと思います。はい。信頼・信用に関しては本当に激しく同意であります。

 

 

「ここに一杯の水がある」理論

 
f:id:yamayu7349:20170415223545p:plain
ここに、Autodrawで書いた一杯の水がある。Autodrawで書くことに特に意味はないのだが、簡単にかけて最高だ。
ポジティブやネガティブはこの中で、入っている水に注目するか、ない部分に注目するかということで例えられる。「水が4割もある」と考えることがポジティブシンキングだ。つまり、あるものが与えられてその良い側面を見ることをポジティブという。
 
 

しかし、飲める水は4割で変わることはない。飢え死にしようがさらに分け与える人がいようが4割の水を飲む必要がある。実際に、飢え死にするやつもいる。

 

 

 
一時的にはいいかもしれない。自分が気合で乗り切れる期間なら。しかし、継続したら確実に飢え死にしてしまう。ネガティブシンキングのほうが、6割もないという問題を直視している分、「水が少ない」という問題の解決には役立つかもしれない、まである。
 
また、ポジティブであれネガティブであれ与えられた「水の量」という問題から離れることはまずない。これは、汎用AI(人間みたいに判断できるAI)の課題であるフレーミング問題と同じ問題だ。
 
フレーミング問題とは、ある枠の中で最適化することはできるが、その外のことについては考えることが難しいという問題で。今回の場合、「水の量で評価する」というフレームから抜けることがポジティブ-ネガティブだけでは抜けることができない。
 
 
 
 
ナルシストの考えそうなこと
 
 
ナルシストは、この枠を超えることができる。一杯の水を見て、「これぐらいの水が入ったグラスが一番美しい」と評価することができる。自分の価値観を持ち、その価値を信頼できること。それがナルシスト。
 
 
 
「いやいや、そんなことができれば、苦労はない。」「わかっているわそんなこと」という話なのだが。でも、目指すべきは与えられた基準だけで勝負するポジティブな人間ではなく、ナルシストであると思う。心の平安を保つ方法としてポジティブは一時的にはとても有効な手段だが、常に一時しのぎで進展がない。というか、ポジティブでいることで問題を先延ばしにしている場合も多々ある。
 
 
 
ナルシストは絶対的に謙虚である
 
 
その点、ナルシストは自身の信じる基準の中では絶対に謙虚である。問題を先延ばしにすることはできない。
なぜなら、自分の基準での「ダサい自分」を許すことができないから。許してしまえば、ナルシストではなくなってしまう。水の例でいうと、水の量では勝負しないが、グラスの美しさに関して執着する。その努力はポジティブシンキングで、良い側面を見るだけよりも明らかに大きい。
 
自分本位だとか言われるナルシストだけど、自分の定める本質に対して絶対的に謙虚だ。
 
 
 
ポジティブよりもナルシスト
 
左利きのエレンという漫画(すごいマンガです。とりあえず)で、仕事のできる人種は「サディスト」「ナルシスト」「自身の特性を理解し適切な場で自分を動かせる人」「アーティスト」の4つだと上司が言うシーンがある。どれも、自身の基準を持ちものごとに接することができる人たちなのではないだろうか。ポジティブもネガティブも精神安定剤としては重要だ。でも、表面をそれでかわしながら、裏で、孤独に、違う基準を作っていきたいなと思う。最終的に自分を支えるだろうから。
 
 
以上でした。左利きのエレン電子書籍しかないけど。めちゃいいですよ。全部買ってないけど。
では、確定拠出年金のお勉強します

二年前に亡くしたはずの友達について

 

はろー。山中です。来年度から大阪で働きます。仲良くしてね。修士論文を書き終わり、副専攻の単位も全て取り終わったので計画通り卒業とあいなる予定でございます。はい。来年度からもよろしくお願いいたします。

今は、寝る、走る、ゲームする、本を読むだけの要素で生活をしています。

 

今回は、二年前に亡くした友達の話をしたいと思います。かなり個人的なものです。

 

僕はまだちゃんと彼女の喪失を悲しめていないという焦りについての話であります。何の教訓もありません。が、僕と同じようなしんどさをもった人もいるのではないか?ぐらいに思って書いております。

 

 

二年前、突然亡くした

 

亡くしました。サークルの同期でした。知っている人もいると思うけど、ちろとい名前の、名前は違うのか。とにかく、ちろの話です。

 

亡くした日、東京のサークルの同期から電話があり、男性の同期に電話をしてほしいと言われました。いやー、とんでもない体験でした。人が亡くなったことを何度も伝えるのってとんでもなかった。当時は、卒論も佳境の佳境でお葬式とお通夜どちらも行ったことを指導教官に諌められたりしました。(こちとら、友達亡くしとんじゃと思っていた。)

とにかく、不意打ちで何も考えられないまま事態は進み、さらに言えば卒論が忙しすぎてよくわからないテンションでその時期を乗り切り、気づいたときには普通の生活が滞りなく進んでました。

 

 

まぁそんなこんなで、ふと気づいたら、僕はちろがなくなったことを悲しむことがないまま生活を送っており、何も泣けないまま、泣くことだけが悲しみを体現するものではないことはわかっているのだが、何も悲しまないまま、普通に生活を送ってたわけです。

 

これは結構深刻だと思いました。めちゃくちゃ焦りました。

僕は全く悲しんでいませんでした。今もあまり悲しめていません。そのせいで、彼女が僕にとって大切な人ではなかったのではないか?みたいなよくわからない焦りをもっていたりしました。

それを否定するため、悲しみの不在を埋めるために、爆心地に行けば分かるはずだ。と、この二年間、3回ご家族に会いに行ったりもしてました。でも、いまいちしっくりきていない。

 

いやいや、人生は初めてか?力抜けよ。状態なのですが。悲しみがない事=大切ではないのではないか?という式が成立するのはなんとなく伝わるものなのではないかと思う。

 

 

 

少なくともここにあったと疑いもなく思える心持ち

 

江國香織さんの『号泣する準備はできていた』のあとがきがとても好きで、僕は何度も読んでいるわけだが。その中にこのような文章がある。

 

たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。
そして、それは確かにそこにあったのだと思う。
かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短篇集になっているといいです。

江國香織 号泣する準備はできていた あとがき抜粋

 

 

この文章で書かれていることを結構信頼していて、悲しみは決定的な喪失からもたらされるものなのだと思う。

当然、喪失していないのに悲しめていない自分は、この文章を思い出し、亡くした友達が自分にとって、「少なくとも確かにここにあった」と思うほどの人ではなかったのではないかと解釈しはじめていた。解釈できるなと思って結構長い間苦しんでいた。

 

解釈をして、それは絶対にないと思って、思いたくて、過去の交流とか引っ張り出しながら、彼女はここにいた。僕は彼女の一部を所有していた。と言い聞かせながらしんどいなー、なんでこんな言い聞かさなあかんねんやろ―と思ってた。

うーん結構しんどかった。(関係ないけど、お盆ってしんどい日なのねってこの二年で知った。)

 

 

 

そんななんやかんやしながら、去年、転機が来た。鷲田さんの本やら友達と話をしていて、僕は、まだちろを決定的に喪失していないのだと。悲しみの方じゃなくて、喪失の方をちゃんとしてないんだと気づいた。

 

 

不在感の不在

 

そう。僕は、まだちろのことを決定的に喪失していない。例えて言うならば、彼女はまだスウェーデンから帰ってきていないぐらいなのだ。

 

僕は、彼女がここにいたと疑いようもなく思えることができる。でも、それは過去形で「あの時、ここにいたと疑いようもなく思えていた」のだ、よく考えれば彼女との交流は亡くなる半年前から途切れていた。そう考えると緩やかに喪失しかけていたのかもしれない。でも、絶対にまた、なんとなしに会うだろうし決定的に重要な役割を自分の人生の中でしてくれる存在だろうと思っていた。決定的なお別れでは絶対になかった。それは確信を持って言える。ただ、繋がりのグラデーションが薄い時期だっただけなのだ。そして、そのまま薄いまま、生存と不在をシームレス越えてしまったしまったのだ。

つまり、「彼女が不在になったという感覚が今僕に不在」のまま本当にこの世から不在になってしまったのだ。僕に決定的な不在感を与えぬままに。

亡くなった人を穏やかに思い出すためには、不在になったことから接続するしか無い。「いた」ことは、「今、いない」ことを通らずには話が通らない。そして、「今、いないこと」を感じるためには「いるはずの場所にいないこと」が必要であり、僕の場合、サークルの中でちろがいないことを語ることでしか決定的な喪失感の不在は埋めないのではないかと思う。

 

 

ちろの話をしよう

どうか皆さん、ちろの話をしよう。少なくとも僕には、みなさんと話さないとだめな理由がある。だいたい社会人になって多忙ではあるがちろの話をしよう。

それもネットとかではなく直接。見えないところで。見えるところで文章を書いている僕が言うのもなんだろうけど。よくわからないけれど。彼女のご両親から知った新しいちろの話もあるし。

 

たどり着いた文脈やらは、違うだろうけれど、崎浜ともそうゆう機会を作らないとだめだとちろの家に一緒に行った時に話をしたし。たぶん、ちろを知る人はだいたいそう思っているだろうけど。

いつになるかわからないけれど。場所は、ラーメン屋さんになるとおもうけれど。

 

 

 

以上であります。

書いてるときに盛大に泣きました。その為、この文章は盛大に矛盾をはらんでるますwまぁいいや。とても、すっきりしました。

 

 

 

2016年に聞き始めたアーティストの勝手なまとめ

やまゆーです。

修論ほっといてスリランカに行きます。

行きます。

最近気づきました。youtubeをガンガン職務中に聞ける環境でないと、ここ三年間のような、パソコンついてたらずっと音楽聞いてるみたいなこと今後は起こらないわけです。

なんてこった。なわけです。

 

そう考えると、この三年、人生の中でも特殊な、新しい音楽を聞きまくる環境かつ時期にあったわけです。もう俺の人生の中で知ってるアーティスト貯金もしかしてこの瞬間が最大なのではないだろうか。別に、多く知ってるからどうなんやみたいな話やけど。

というわけで、なんとなく、今年聞き始めたアーティストやら曲やらを、まとめておきたいなって思いました。ちなみに、僕全く楽器できませんし、専門的な事わからないんで。なんとなくすげぇ!!ぐらいの感じです。物好きの人は、最近この曲好きやねんみたいなのあったら教えてください。修論スリランカのお供にします。よし。行くぞーーー。

 

なんか長くなりそうなんで意味のない目次作ります。

 

目次

  1. 2016年、もっとも聞いたアーティストTOP3(Never young beach、Suchmos、Yogee new waves)
  2. とりあえず、この曲すごくない?篇(クラムボン、Ykiki Beat、フレンズ、天才バンド、サニーデイ・サービスBill Evans)
  3. なんか、最近、女性ボーカルバンドおおくないっすか?篇(FINLANDS、Hump Back、Homecomings、The Wisely Brothers)

1.2016年、もっとも聞いたアーティストTOP3

2016年知ったアーティストの中で、最も聞いたアーティスト。間違いなく、Never young beach、Suchmos、Yogee New waveだと思います。特に、Never young beachは、最初に聞いたときの衝撃が未だに抜けない。なんてこった。

 

Never young beach

この『明るい未来』という曲で、何度、落ちた心を復活させたことか。とても楽観的で、「これだからゆとり世代は」というような感じではあるのだけど。いや、楽観的でなくてどうするんだよ。突き抜けて幸せな歌を歌ってやるよ。「いつでも微笑みよ。そんな歌が昔あったような。今こそ、この歌を歌うべきじゃないのか?」“この歌”とは、間違いなくこの『明るい未来』だ!!!歌ってやるさ。ゆとりバンザイ!!
最近だと、『お別れの歌』って曲のMVの小松菜奈が可愛すぎる。ずるいみたいな事でちょっと話題になってましたね。

www.youtube.com

小松菜奈が可愛すぎるMV

never young beach - お別れの歌 (official video) - YouTube

 

Suchmos

 もう、とにかく、かっこいい。取り敢えずベースが凄い好き。変態ボーカルのオーラが大物感を醸し出しててて、大きなフェスのトリにもうすぐ出てくるんだろうと思う。サカナクションでクラブミュージックなんてジャンルがあるんやと知って、このSuchmosで完全にこのゆったりとしたノリにハマってしまっている。ライブ行きたい。

 

www.youtube.com

 

 Yogee new waves

 Ceroも最近聞き始めました。Yogee new wavesは、Stars onというフェスで聞きました。やっぱり、まとめるとゆるい感じに吸い寄せられているのかもしれない。社会に入ったらもっと、パリッとした曲を聞くようになるのかもなー。。ライブで聞くと、おしゃれというよりもandymoriのような感情むき出しのパフォーマンスで、完全にライブバンドです。また聞きたい。

 

www.youtube.com

 

 

2.とりあえず、この曲すごくない?篇

ぼく、音楽してないので、曲聞いても何が凄いのかわからないですよ。でも、なんかすごくて声あげちゃったり、なんとなくエンドレスリピートしちゃうわけですよ。研究室で。そんな曲とアーティストでございます。誰か語り明かしてくれ。この曲たちの凄さを。俺はすごいしか言えんのです。

 

clammbon(クラムボン)/yet

最初に聞いた時、もう3回ぐらい、『えっ?』って言ったと思います1週間前の事です。なんやろ、こうゆう流れなんやろなーっていうのって曲を聞いてたら感じるじゃないですか。それを3回ぐらい虚をつかれるというか。どこいっちゃうの?みたいなことになって慣れてきたときのサビとボーカルの綺麗な声があー泣いちゃうーってなります。もう最初にどこで驚いたか忘れてしまったけど。なんか、とてつもなく驚いたわけであります。クラムボンもっと聞きたいです。『サラウンド』しか知らなかったので。

www.youtube.com

Clammbon - サラウンド (Surround) [SPACEZERO] - YouTube

 

Ykiki Beat/Forever

かっこいい。The finを先輩に教えてもらって聞いた時の感じを凄い思い出した。こうゆうのUKロックって言うらしい。UKってビートルズしか知らん。なんやねん。The finのときも思ったけど。本当にこの人日本人なのだろうか・・・・?

 

www.youtube.com

 

The finのリンクも載せときます。

The fin.- Night Time - YouTube

 

 

フレンズ/夜にダン

とりあえず、おかもとえみが可愛い。っていうことはタイプの差があるのだろうけど。結構前に聞いてyoutubeのオススメに出るようになって最近かなりの頻度で聞きたくなっている。今一番CDが欲しい。ずっと聞いてても、ただ、ゆらゆらしてられる。これも幸せになる系。僕にはやはり癒やしが足りないのかもしれない。猫飼いたい。

www.youtube.com

 

天才バンド/君が誰かの彼女になりくさっても 

これ知ったのも、今年なのであります。Back Numberばりの悲恋の歌ですな。でも、back numberよりも女々しく聞こえないのは、ボーカルの奇妙礼太郎さんがどう考えてもモテモテにしか見えないからなのかもしれない。ちなみに、こうゆう曲かーと思ってライブに行ったら痛い目にあいます。ライブだと、ひたすらWe are 天才バンド!!!って言いまくって超かっこよくベースとギター弾き鳴らすおじさんたちです。超かっこよかったけど。

 

www.youtube.com

 

 ↓完全に観客を置き去りにしていってしまう天才バンドの例

天才バンド - DANCE MUSIC FOR ME!! @ 夏の魔物2015 - YouTube

 

サニーデイ・サービス/セツナ

とにかく、MVが狂気。その中をエンドレスで流れる。シンプルなメロディー。がさらに狂気さを増していく。狂気。サニーデイ・サービス結構古い人達みたいだけど初めて聞いた。『青春狂騒曲』って曲も超おしゃれ

 

www.youtube.com

(PV)サニーデイ・サービス - 青春狂走曲 - YouTube

 
 
Bill Evans/ walts for Debby

ジャズを知っている人は、『は?何言ってるのこいつ?』って感じなのでしょう。超名曲らしいです。全然知らんけど。僕、『Blue Giant』というジャズの漫画を読んで、ミーハーを発揮してジャズに手を出したのですが、ジャズの何が凄いって、もう本当にひとつの楽器から出てんのか?なんて音の幅なんだ?ぐらいに楽器の音が聞こえるんですよ。ガンガン鳴らしてる要素の1つだったベースやらドラムやらが、もう凄まじく細かく聞こえるんですジャズって。完全にやられてしまってこのBill Evansって人の二枚組アルバム買いましたよAmazonで。はい。ちなみに、Fly with the windって曲も超好きです。これもジャズ知ってる人からしたら何いってんのお前?級の曲みたいですけど。誰か俺にジャズを教えてくれ。もっと深みにハマりたい。

www.youtube.com

 

McCoy Tyner - Fly With the Wind - [Fly With the Wind] 1976 - YouTube

 

 

 

3.なんか、最近、女性ボーカルバンドおおくないっすか?篇

いや、多すぎますよね。絶対。それとも、俺があんまり知らんかっただけなんやろうか。それとも、俺が女性のボーカルバンドを引き寄せているのだろうか。ちなみに、チャットモンチーは、2人になってからの方が好きです。SHISHAMOは性に合いません。

 

FINLANDS/ウィークエンド

いや、もう絶対売れてるやろって感じ。中毒性がある高音が、もうたまらない。しんどいときには聞けない。高音すぎて。クリープハイプを聞きまくってたときの中毒性を思い出す。

 

www.youtube.com

 

 

Hump Back

第一声、チャットモンチーか??ってなる。3ピースだし。チャットモンチーよりも少し暗いけど、なんかすごく言いたいことがあるんだ!!!うおーーー!!って感じのバンド。

 

www.youtube.com

 

Homecomings/HURTS

ヘロヘロの英語だ。って言われてるけど、やっぱり、女性のボーカルっていいなって思う。

 

www.youtube.com

 

The Wisely Brothers

いや、可愛いかよ。みたいな感じですけど、ただの高音じゃないけだるい感じのボーカルが印象的。ふわっとして、可愛い感じなのに、重いギターの音がのギャップが好き。重いギターってだけで好きになっちゃう俺も俺ですけども。

 

www.youtube.com

 

 

 

以上です。なんか色々抜けていそうな気もする。今年本当に色々新しいアーティストの曲聞いた気がする。これもyoutubeさんのおかげなのですが、他にも、宇多田ヒカルのアルバム神ってたし、赤い公園も新しい曲好きだった。相変わらず、きのこ帝国は冬になったらクロノスタシス聞きたくなるし、toconomaはずっと追っかけているし、勝負の朝は、今年もBrand new dawnだったりもした。今後も、どうにかして新しい曲を増やしていけたらいいなー。小説も読めなくなってしまっているし。うん。

 

 

 

 

 

 

愛で駆動する1984の世界

村上春樹の『女のいない男たち』を読んでます。強烈に恋をした相手を、“総合的な存在”と評した男が出てくる話があって、その表現流石すぎますよ春樹さんと思っているところです。

 

表題の話はジョージ・オーウェルの1984なんですけどね。。1984の世界は、ビッグブラザーという存在が一国を牛耳っていて(正確には、牛耳っていると言われている)、そのビッグブラザーへの愛を国民は強要されている世界です。この愛が、最後には成就してしまうからこの物語は面白い。まぁその面白さはさておき、この世界では常に戦時下で食料は配給制。お酒などの趣向品は使用禁止みたいな世界なわけです。しかも、それだけではなく、生殖以外を目的にした性行為はやってはいけない。つまり、個人や物ですら愛することを制限されます。愛することはビッグブラザーにのみ捧げられるように強要され、それに背くものを監視するシステムが日常的にポスター型の監視カメラが設置されるます。

 

こっからわけわからん話をし始めますけど、この世界で配給品=給料(貨幣)と仮定すると配給品は常に困窮しているので、労働力>給料の状態になります。これでは不満が出るので個人それぞれの愛の力を一国を回すために注ぐことでこの必要労働力を賄う形を1984では取ります。つまり、

 

(配給品+個人のビッグブラザーへの愛(=ビッグブラザーからの愛))× 国民  =  一国を回す必要労働力

 

という式で世界を構築するわけです。また、国民の愛への見返りは戦果として戻ってきます、例えば国が敵国を倒した。とか、ある大陸を占領したとか。そうゆうのです、つまり国民たちの愛が報われることを情報としてビッグブラザーからの愛として享受することで、ビッグブラザーへの愛を個人として再生産して世界が回っていきます。

(まぁこの“戦果”がでっち上げだという事が分かってて、きっと富を肥やしているやつが上部にいるんだけどね。)

 

さて、この愛で駆動する世界なのですが。普通に、現実にもあるなって思うわけです。配給品(企業収益)が少なくなっているので、その企業への愛で必要労働力を賄おうみたいな。この愛のカタチは、どのようなものかわからないけれど。

 

じゃあ、どのようにこの愛の強要を1984では行うかというと、まぁ再教育するんですね。拷問で。さらに、さっきから言っていた“ビッグブラザー以外への愛”を徹底的に監視する事で実質的に選択肢をなくさせるわけです。この選択肢の固定化と愛情教育が、個人のビッグブラザーへの愛情が枯渇しない状態を作り経済を回していくわけです。

 

ただ、現実はその選択肢の固定化が成立しないわけです。他者は1984の世界よりも画一化しているわけではなく多様で、自分の立ち位置は“別の場所でもありえた一つの場所”として以外の意味が見いだせない場合もある。愛情の再生産が追いつかない場合もある。

基本的に、愛情による労働力化はその愛情の再生産が追いつけば(どっかから仕入れる+そもそも仕事である程度回復する)なんとかなるし、生きていける。だけど、願わくばその再生産がどっかから仕入れ無くてもプラス生産出来る場所にいたいなって思うわけです。ただ、僕はまずはライスワークを出来るようにしないとな。将来の自己への愛を駆動させて来年度から僕は働かないとな。と、いうかこんだけ言っても絶対もう目の前の仕事にうぉーーってなる思うのだけど。

 

※書き始めたときは、全然企業との関係のことだけを意識したわけじゃなく、恋愛関係とかも想像してたのに書き始めたら企業との関係の事でしか読めなくなってしまった。経路依存性恐るべし。