人生の山中にて

なんかあったら、書く

二年前に亡くしたはずの友達について

 

はろー。山中です。来年度から大阪で働きます。仲良くしてね。修士論文を書き終わり、副専攻の単位も全て取り終わったので計画通り卒業とあいなる予定でございます。はい。来年度からもよろしくお願いいたします。

今は、寝る、走る、ゲームする、本を読むだけの要素で生活をしています。

 

今回は、二年前に亡くした友達の話をしたいと思います。かなり個人的なものです。

 

僕はまだちゃんと彼女の喪失を悲しめていないという焦りについての話であります。何の教訓もありません。が、僕と同じようなしんどさをもった人もいるのではないか?ぐらいに思って書いております。

 

 

二年前、突然亡くした

 

亡くしました。サークルの同期でした。知っている人もいると思うけど、ちろとい名前の、名前は違うのか。とにかく、ちろの話です。

 

亡くした日、東京のサークルの同期から電話があり、男性の同期に電話をしてほしいと言われました。いやー、とんでもない体験でした。人が亡くなったことを何度も伝えるのってとんでもなかった。当時は、卒論も佳境の佳境でお葬式とお通夜どちらも行ったことを指導教官に諌められたりしました。(こちとら、友達亡くしとんじゃと思っていた。)

とにかく、不意打ちで何も考えられないまま事態は進み、さらに言えば卒論が忙しすぎてよくわからないテンションでその時期を乗り切り、気づいたときには普通の生活が滞りなく進んでました。

 

 

まぁそんなこんなで、ふと気づいたら、僕はちろがなくなったことを悲しむことがないまま生活を送っており、何も泣けないまま、泣くことだけが悲しみを体現するものではないことはわかっているのだが、何も悲しまないまま、普通に生活を送ってたわけです。

 

これは結構深刻だと思いました。めちゃくちゃ焦りました。

僕は全く悲しんでいませんでした。今もあまり悲しめていません。そのせいで、彼女が僕にとって大切な人ではなかったのではないか?みたいなよくわからない焦りをもっていたりしました。

それを否定するため、悲しみの不在を埋めるために、爆心地に行けば分かるはずだ。と、この二年間、3回ご家族に会いに行ったりもしてました。でも、いまいちしっくりきていない。

 

いやいや、人生は初めてか?力抜けよ。状態なのですが。悲しみがない事=大切ではないのではないか?という式が成立するのはなんとなく伝わるものなのではないかと思う。

 

 

 

少なくともここにあったと疑いもなく思える心持ち

 

江國香織さんの『号泣する準備はできていた』のあとがきがとても好きで、僕は何度も読んでいるわけだが。その中にこのような文章がある。

 

たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。
そして、それは確かにそこにあったのだと思う。
かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短篇集になっているといいです。

江國香織 号泣する準備はできていた あとがき抜粋

 

 

この文章で書かれていることを結構信頼していて、悲しみは決定的な喪失からもたらされるものなのだと思う。

当然、喪失していないのに悲しめていない自分は、この文章を思い出し、亡くした友達が自分にとって、「少なくとも確かにここにあった」と思うほどの人ではなかったのではないかと解釈しはじめていた。解釈できるなと思って結構長い間苦しんでいた。

 

解釈をして、それは絶対にないと思って、思いたくて、過去の交流とか引っ張り出しながら、彼女はここにいた。僕は彼女の一部を所有していた。と言い聞かせながらしんどいなー、なんでこんな言い聞かさなあかんねんやろ―と思ってた。

うーん結構しんどかった。(関係ないけど、お盆ってしんどい日なのねってこの二年で知った。)

 

 

 

そんななんやかんやしながら、去年、転機が来た。鷲田さんの本やら友達と話をしていて、僕は、まだちろを決定的に喪失していないのだと。悲しみの方じゃなくて、喪失の方をちゃんとしてないんだと気づいた。

 

 

不在感の不在

 

そう。僕は、まだちろのことを決定的に喪失していない。例えて言うならば、彼女はまだスウェーデンから帰ってきていないぐらいなのだ。

 

僕は、彼女がここにいたと疑いようもなく思えることができる。でも、それは過去形で「あの時、ここにいたと疑いようもなく思えていた」のだ、よく考えれば彼女との交流は亡くなる半年前から途切れていた。そう考えると緩やかに喪失しかけていたのかもしれない。でも、絶対にまた、なんとなしに会うだろうし決定的に重要な役割を自分の人生の中でしてくれる存在だろうと思っていた。決定的なお別れでは絶対になかった。それは確信を持って言える。ただ、繋がりのグラデーションが薄い時期だっただけなのだ。そして、そのまま薄いまま、生存と不在をシームレス越えてしまったしまったのだ。

つまり、「彼女が不在になったという感覚が今僕に不在」のまま本当にこの世から不在になってしまったのだ。僕に決定的な不在感を与えぬままに。

亡くなった人を穏やかに思い出すためには、不在になったことから接続するしか無い。「いた」ことは、「今、いない」ことを通らずには話が通らない。そして、「今、いないこと」を感じるためには「いるはずの場所にいないこと」が必要であり、僕の場合、サークルの中でちろがいないことを語ることでしか決定的な喪失感の不在は埋めないのではないかと思う。

 

 

ちろの話をしよう

どうか皆さん、ちろの話をしよう。少なくとも僕には、みなさんと話さないとだめな理由がある。だいたい社会人になって多忙ではあるがちろの話をしよう。

それもネットとかではなく直接。見えないところで。見えるところで文章を書いている僕が言うのもなんだろうけど。よくわからないけれど。彼女のご両親から知った新しいちろの話もあるし。

 

たどり着いた文脈やらは、違うだろうけれど、崎浜ともそうゆう機会を作らないとだめだとちろの家に一緒に行った時に話をしたし。たぶん、ちろを知る人はだいたいそう思っているだろうけど。

いつになるかわからないけれど。場所は、ラーメン屋さんになるとおもうけれど。

 

 

 

以上であります。

書いてるときに盛大に泣きました。その為、この文章は盛大に矛盾をはらんでるますwまぁいいや。とても、すっきりしました。