人生の山中にて

なんかあったら、書く

ポジティブよりもナルシストを目指すべき

おはようございます。おはようございます。山中です。
研修が、日によっては、茶番すぎるだろ。ふざけんな。だったり、素晴らしいなこの講師だったりな生活です。
 
2週間が過ぎましたが、研修には付き物の『新社会人に向けたアドバイス』みたいなものが最後にくっついている講義をめちゃ受けてます。その中でも、「人間関係・信頼・信用」「ポジティブシンキング」の二つの頻出度合いがかなり高いです。いや、大事だと思います。はい。信頼・信用に関しては本当に激しく同意であります。

 

 

「ここに一杯の水がある」理論

 
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ここに、Autodrawで書いた一杯の水がある。Autodrawで書くことに特に意味はないのだが、簡単にかけて最高だ。
ポジティブやネガティブはこの中で、入っている水に注目するか、ない部分に注目するかということで例えられる。「水が4割もある」と考えることがポジティブシンキングだ。つまり、あるものが与えられてその良い側面を見ることをポジティブという。
 
 

しかし、飲める水は4割で変わることはない。飢え死にしようがさらに分け与える人がいようが4割の水を飲む必要がある。実際に、飢え死にするやつもいる。

 

 

 
一時的にはいいかもしれない。自分が気合で乗り切れる期間なら。しかし、継続したら確実に飢え死にしてしまう。ネガティブシンキングのほうが、6割もないという問題を直視している分、「水が少ない」という問題の解決には役立つかもしれない、まである。
 
また、ポジティブであれネガティブであれ与えられた「水の量」という問題から離れることはまずない。これは、汎用AI(人間みたいに判断できるAI)の課題であるフレーミング問題と同じ問題だ。
 
フレーミング問題とは、ある枠の中で最適化することはできるが、その外のことについては考えることが難しいという問題で。今回の場合、「水の量で評価する」というフレームから抜けることがポジティブ-ネガティブだけでは抜けることができない。
 
 
 
 
ナルシストの考えそうなこと
 
 
ナルシストは、この枠を超えることができる。一杯の水を見て、「これぐらいの水が入ったグラスが一番美しい」と評価することができる。自分の価値観を持ち、その価値を信頼できること。それがナルシスト。
 
 
 
「いやいや、そんなことができれば、苦労はない。」「わかっているわそんなこと」という話なのだが。でも、目指すべきは与えられた基準だけで勝負するポジティブな人間ではなく、ナルシストであると思う。心の平安を保つ方法としてポジティブは一時的にはとても有効な手段だが、常に一時しのぎで進展がない。というか、ポジティブでいることで問題を先延ばしにしている場合も多々ある。
 
 
 
ナルシストは絶対的に謙虚である
 
 
その点、ナルシストは自身の信じる基準の中では絶対に謙虚である。問題を先延ばしにすることはできない。
なぜなら、自分の基準での「ダサい自分」を許すことができないから。許してしまえば、ナルシストではなくなってしまう。水の例でいうと、水の量では勝負しないが、グラスの美しさに関して執着する。その努力はポジティブシンキングで、良い側面を見るだけよりも明らかに大きい。
 
自分本位だとか言われるナルシストだけど、自分の定める本質に対して絶対的に謙虚だ。
 
 
 
ポジティブよりもナルシスト
 
左利きのエレンという漫画(すごいマンガです。とりあえず)で、仕事のできる人種は「サディスト」「ナルシスト」「自身の特性を理解し適切な場で自分を動かせる人」「アーティスト」の4つだと上司が言うシーンがある。どれも、自身の基準を持ちものごとに接することができる人たちなのではないだろうか。ポジティブもネガティブも精神安定剤としては重要だ。でも、表面をそれでかわしながら、裏で、孤独に、違う基準を作っていきたいなと思う。最終的に自分を支えるだろうから。
 
 
以上でした。左利きのエレン電子書籍しかないけど。めちゃいいですよ。全部買ってないけど。
では、確定拠出年金のお勉強します