人生の山中にて

なんかあったら、書く

将来どのようになることを恐れていますか?

 

 

将来、どのようになりたいですか?

 

という質問は、よく言われたし自問したりするけれど。どのようになることを恐れているのか?という否定系で聞かれることはなかった。

 

ひょんなことからその質問を受けて、自分の中で準備してない回答が出たので面白かった。(そもそもそんなに準備はしてなかったけど。)

 

この『なりたいのか?』と『なるのを恐れているか?』二つの質問だけれど。

 

否定系の方が回答する側の解像度が高い気がした。その二つから得られる知見や回答の中身は大体同じなのだけれど。否定系の方が具体的な回答になる。少なくとも、僕はなった。

 

肯定系は否定系よりも、自分の存在するエリアが閉じている。あるエリアを指定し、その中にそうありたい自分がいる必要がある。否定系は、あるエリアを拒否するので、否定系の方が自分に開かれているエリアが広い。ように見える。

 

そもそもこの質問自体が二つとも、自己言及的な質問でかなりパワーを使うし、その質問によって回答者は動揺せざる得ないものである。

 

具体的には回答者は、『自分は本当にそうなりたいのか?/なりたくないのか?』という問いに取り組む必要がある。

 

この時、自分のエリアをできるだけ保持したいと思う場合、肯定系ではできるだけ指し示すエリアが広くなるように。否定系では、できるだけ小さくなるように答える。

 

つまり、確信を持って答えられる指し示すエリアが肯定系だと広がるが、否定系だと狭くなる。

 

これによって解像度が上がっている気がする。否定系の方が、明確な言葉を使った方が確信の持てる自分のエリアを確定できる。

 

つまり、否定系は具体性を増せば増すほど不確実性が小さくなる。その回答で引き受ける不確定性が解像度を上げる方向性にある。これが、否定系の良さなのだと思う。

 

恐らく、これは自己言及的な質問以外にも言える。自分が正しい事を言っている事を確信したい時、より具体的な対象に否定系を用いる事はないだろうか?あれは多分同じ効果がある。

 

場面によって、それぞれ使い方があると思うけど。話をこの質問から発展させていこうとする場においては否定系の質問は有効かもしれない。相手の心理的な安全性を確保しつつ。具体的な対象がでて発展させやすい。