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人生の山中にて

とりあえず、書きたくなったら書きます。

愛で駆動する1984の世界

村上春樹の『女のいない男たち』を読んでます。強烈に恋をした相手を、“総合的な存在”と評した男が出てくる話があって、その表現流石すぎますよ春樹さんと思っているところです。

 

表題の話はジョージ・オーウェルの1984なんですけどね。。1984の世界は、ビッグブラザーという存在が一国を牛耳っていて(正確には、牛耳っていると言われている)、そのビッグブラザーへの愛を国民は強要されている世界です。この愛が、最後には成就してしまうからこの物語は面白い。まぁその面白さはさておき、この世界では常に戦時下で食料は配給制。お酒などの趣向品は使用禁止みたいな世界なわけです。しかも、それだけではなく、生殖以外を目的にした性行為はやってはいけない。つまり、個人や物ですら愛することを制限されます。愛することはビッグブラザーにのみ捧げられるように強要され、それに背くものを監視するシステムが日常的にポスター型の監視カメラが設置されるます。

 

こっからわけわからん話をし始めますけど、この世界で配給品=給料(貨幣)と仮定すると配給品は常に困窮しているので、労働力>給料の状態になります。これでは不満が出るので個人それぞれの愛の力を一国を回すために注ぐことでこの必要労働力を賄う形を1984では取ります。つまり、

 

(配給品+個人のビッグブラザーへの愛(=ビッグブラザーからの愛))× 国民  =  一国を回す必要労働力

 

という式で世界を構築するわけです。また、国民の愛への見返りは戦果として戻ってきます、例えば国が敵国を倒した。とか、ある大陸を占領したとか。そうゆうのです、つまり国民たちの愛が報われることを情報としてビッグブラザーからの愛として享受することで、ビッグブラザーへの愛を個人として再生産して世界が回っていきます。

(まぁこの“戦果”がでっち上げだという事が分かってて、きっと富を肥やしているやつが上部にいるんだけどね。)

 

さて、この愛で駆動する世界なのですが。普通に、現実にもあるなって思うわけです。配給品(企業収益)が少なくなっているので、その企業への愛で必要労働力を賄おうみたいな。この愛のカタチは、どのようなものかわからないけれど。

 

じゃあ、どのようにこの愛の強要を1984では行うかというと、まぁ再教育するんですね。拷問で。さらに、さっきから言っていた“ビッグブラザー以外への愛”を徹底的に監視する事で実質的に選択肢をなくさせるわけです。この選択肢の固定化と愛情教育が、個人のビッグブラザーへの愛情が枯渇しない状態を作り経済を回していくわけです。

 

ただ、現実はその選択肢の固定化が成立しないわけです。他者は1984の世界よりも画一化しているわけではなく多様で、自分の立ち位置は“別の場所でもありえた一つの場所”として以外の意味が見いだせない場合もある。愛情の再生産が追いつかない場合もある。

基本的に、愛情による労働力化はその愛情の再生産が追いつけば(どっかから仕入れる+そもそも仕事である程度回復する)なんとかなるし、生きていける。だけど、願わくばその再生産がどっかから仕入れ無くてもプラス生産出来る場所にいたいなって思うわけです。ただ、僕はまずはライスワークを出来るようにしないとな。将来の自己への愛を駆動させて来年度から僕は働かないとな。と、いうかこんだけ言っても絶対もう目の前の仕事にうぉーーってなる思うのだけど。

 

※書き始めたときは、全然企業との関係のことだけを意識したわけじゃなく、恋愛関係とかも想像してたのに書き始めたら企業との関係の事でしか読めなくなってしまった。経路依存性恐るべし。