人生の山中にて

なんかあったら、書く

ズートピアのエンディングが納得いかなかった話(ネタバレ満載)

ズートピアの話。【ネタバレおもいっきりします】

さっき紹介した動画の中でも紹介されてましたが。結構前に見て、モフモフのモッフモフだったわけですが。(超モフモフ)

エンディングがね。納得いかなかった事を文章に残しとこうと思って。書きました。また、時が経てば読むさ。何かご意見あればご連絡を。



ズートピアのエンディングがすごく嫌だったわけです。見てからずっと言いふらしてるのですが、やっぱりあのエンディングは納得いかなくて。(観ながら俺がエンディングを作っていた節はあるのだけど)端的にいうと『恐怖による支配を否定しないエンド』だと思っているのです。ズートピアってどう考えても現在のアメリカの風刺的な形で成立しているだけど、、その中で恐怖による支配というものを否定しないエンディングでいいのか。って思うわけです。いや、恐らくディズニー的な回答はあったと思うんですけど。なんかそれいいんかい!みたいに思っているのです。


そもそも『恐怖による支配』ってズートピアでどこで出てくんねんって話なんやけど、1.しょっぱなのウサギのジュディが田舎のキツネに傷つけられるシーン(肉食から草食への暴力による支配)。2.凶暴化する可能性がある肉食獣が近くにいるという潜在的恐怖がみえるシーン3.ジュディがニックに感じるトラウマからのキツネ撃退スプレーを構えてしまうシーン4.黒幕の羊がもつ、凶暴化を促す薬を持っているというシーンとこれぐらいかなと思ってるんですけど、これ完全にテロリズムとセキュリティの政治を反映しているわけですよ。

 

で、話の流れをネタバレ満載で言いたいことを言うためにチョイスして話すと。黒幕の羊が肉食動物への恨みがあって、草食動物だけの世界を作るために、肉食動物へ凶暴化の薬を打ち始める。それを捜索するジュディとニックが最終的に謎を解明して黒幕羊を捕らえるというものです。(もっといろんな視点で見れるのがこの映画のおもろいとこやと思うんですが言いたいことを言うために簡潔に)

 

問題のエンディングはですね、最後ニックに薬を打って凶暴化させて、ジュディを殺そうとするんですよ羊が。その時に、セリフの中で『恐怖による支配は常に成立する!!』っていって銃型の薬を撃つんですよね。ただ、その薬はブルーベリーにニックとジュディがすり替えていて、事なきを得て羊は捕らえられ、ガゼルのアイドルを囲んで多様な動物がはしゃいでみんな平等だ!!といって終わるエンディングなんですよ。

 

 

でもね、実際の世界もズートピアの世界もそんな平等じゃないんですよ。例えば、肉食動物と草食動物が喧嘩したらどうなるかってそら身体的に肉食動物が大怪我させちゃうんですよ。そう言う根本的なバイオロジカルな違いって存在している。そんで、それによる恐怖による支配が成立することは容易に想像できる。でもそんなもん全く気にしないで問題を端において平等だ。で、踊って終わるんですよ。きっと、踊り終わって朝になったらたまたま当たった肉食動物の爪で草食動物の身体は傷ついていたりしてるはずなんですよ。そこを全く言及してないんですよね。凶暴化した草食動物は動画で表現されないんですよ最後まで。恐らく、凶暴化した草食動物が明らかに肉食動物のそれよりも危険じゃないことが見えるからなんじゃないかと思ってるんですけど。

 

でね。ディズニー的な回答はこうなんですよきっと。恐怖による支配はユーモアとかアイディアでそれは回避できる。悪者は捕まえられる。みたいな回答なんですよ。きっと現実の中でディズニーはズートピアのブルーベリーだ!!っていうのがディズニーの回答なんですよ。ただ、その支配が通用する事自体は否定しないですよ。

 

僕は僕的には。最後に恐怖による支配は成立しない。馬鹿げてるんだって言って欲しかった。お互いのバイオロジカルな違いからの恐怖があるなかで、でも支配はされないぜ、共存するぜっていうエンディングがねよかったんですよ僕は。臭くても薬撃たれたニックが愛に目覚めて助かるエンドがまだよかったんですよ。一瞬ジュディがキツネというトラウマを克服する部分でそのエンディングになるかなって思ったんですけど。最後、いろんな内包する問題をほっといてワイワイエンディングだったのがすごい納得できなかったんですよね。

 

 

僕的には、あの後。ズートピアが絵本の世界で、現実には、肉食動物の爪と牙を引き抜いて草食とバランスをとる集落と肉食動物と同等の武装をすることでバランスを取った集落があって。そのなかで、牙を抜くことを否定して捕まった肉食動物と過武装して捕まった草食動物の物語が始まってくれたほうがねいいなって思うわけですよ(超絶妄想モード)

 

というズートピアの話でした。映画楽しい。以上