人生の山中にて

なんかあったら、書く

ポケGOと言い訳の向こう側


どっかの企業の面接で、「僕たちが楽しいと思っている事の楽しさは、上の世代にも通じると思うんです」

 

 

 

 


と、言った事がある。

 

 

 


指しているものは、今思えば特にゲームだったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 


特に、その時はソシャゲ。

 

 

 

 

 

通勤中。たくさんの人がゲームをしている。

 

 

しかし、何年も続けているプレイヤーでさえ他の人に説明する時には、「まぁ暇つぶしなんですけどね」と答えている気がしていた。

 

 

 


人間には言い訳が必要だ。

社会的に、許された理由が必要だ。


ゲームが楽しい。

ゲームが趣味。


は、上の世代ではちょっと。許されない(ここ3年一気に変わった気もする)

 

 

 

 


ゲームは楽しい。しかし、暇つぶし。いつでもやめれる。


これが落とし所のようだった。

 

 

 

それに迎合してなのか、「暇つぶし」を歌うソシャゲがどんどん量産された。

 

 

 

 

糞食らえだと思っていた。

 

 


ポケGOがやってきて、もう2年半になる。

 

 

 

どう考えても暇つぶしではない高齢者プレイヤーがたくさんいる。暇つぶしではない。ライフワークとしてのゲームプレイヤーが。

 

 


彼らは何と答えるのだろうか?

ポケモンという〝キャラ〟依存でもないはず。世代が違うのだから。

  

 

きっと、楽しそうに自慢しだすのではないだろうか?

言い訳の向こう側で、楽しいと純粋に答えられる開放感と共に。

 

 


ゲームの勝利のはずだ。

 


言い訳の向こう側で、一つに固まっている白髪の混じりの集団を見ると少しガッツポーズしてしまう。