人生の山中にて

なんかあったら、書く

『読めるようになる』という快楽

エンジニアとしてジョブチェンジしてから5年が経った。最近になって、(やっと)コンピュータサイエンス。つまり、コンピュータの中で起こってることを知りたいと思うようになり、本を読み始めた。

 

きっかけは、10才年齢下だけど僕の3倍ぐらい生産性のある人に出会って一緒に仕事をしているからだ。当たり前だが、知識がなければ比喩なく話にならない。バックグラウンドの違いをひしひしと感じ必要に駆られ読むことになった。

 

違うタイプの本に会う時は常に、他の人からやって来る。

 

何冊か軽い本『インターネットはなぜ繋がるのか』/『プログラムはなぜ動くのか』系を読み直し。つい最近、『コンピュータの構成と設計』という教科書級の本を読んだ。

 

そして、思った。

 

まず、半分以上が理解できない。読むのにとんでもなく時間がかかるし、後半になるにつれて前半の理解度が効いてきてさらに理解できなくなる。何度も戻る。理解している前提で進む著者の話し方にイラつく。

 

ただ、読み切った。そして、読み終わった時。

これは、大学の時。某人間科学部の人たちに勧められて社会学や哲学の本を読み始めた時に似ていると思った。

いま哲学系の本が読めるようになったのは、読める快楽を覚えたのは。とにかく、分からなくても読んだからだ。レイヤを重ねて同じ概念を何重にも違う角度から言及されてぼんやり読めるようになったのだ。今も古典の原書など読めたもんではないけれど。読み切ることはできるようになった。

 

今回は必要にもかられるているし、直接役にも立つ。そして、中身の面白さがわかってきた。

 

何より、僕は大学で読めようになる快楽を知っている。それ駆動で楽しめている。

 

また、大学でのバックボーンに助けられている。中途半端であっちこっちに行っているキャリアだけれど。

 

頑張っていこう。