やまゆーです。
テレビっ子でした。
実家ではずっとテレビを見ていたし、寝てるふりしてテレビ見てたりしてました。
親が9時以降観たらだめみたいな教育方針で、その方針に対して妹ともに反抗しまくったこともありました。(あー昔、映画全然知らんかった背景それか。)
大学でテレビが無くなってから、来年で10年?になります。総合的に見たらテレビなくなって良かったーと思っています。この10年近くでなんでもネットに移行されてきたこともありますが、ほとんど不便はありませんし、得たものがたくさんあります。ただ、失ったものも結構あります。ザラッとまとめておきたいと思います。
テレビがない生活で得たもの
・他人の個人の流行りを聞き出す言い訳ができた。
「テレビないから今流行っているもの教えて」ということで、テレビの流行りと同時に対面している個人の好きなものを聞き出しやすくなった。人の好きなものを聞くのは楽しい。
・流行りについていくことを諦める言い訳ができた。
みやぞんを知らなくても、早稲田の変な動きする芸人を知らなくても「うちテレビないんだー」で全て解決します。ついて行きたい流行りだけについていけばいいと思える様になりました。
・コンテンツを作る人の凄さを実感するようになった。
テレビ番組というコンテンツは、遠すぎて、かつ関係者が多すぎて分からなかったけど。ネットコンテンツばかり観ているとコンテンツを作成者と強く紐付けて観れる様になった。PVとか、ニコ動とか。と、同時に作成側の凄さに対して感動できるようになった。
・理不尽なコメンテータの不特定多数への発言を聞かなくて良くなった。
不特定多数に向けた不特定多数用の発言は大したことないんだなって感じれる様になった。個人が無限に言い合うツイッターのほうが一事例に対する観点が多くて好きだ。理解の前に一方通行の評価が来てしまうテレビは怖い。評価を利くならばたくさんの人から聞いたほうがいい。
テレビがない生活で失ったもの
・元ネタが分からない場合がある。
テレビで流行っていることを元にしたネタに対して全く分からない場合がある。「あったかいんだから~」ってなんやねんって思ってた時期がありました。あと、あのCMに出てる女優!!とかあのドラマの音楽!って言われても全く反応できない。
・今、自分の中で流行っているものの世間の認知度が全くわからない。
例えば、Vtuberとかいま来ているのだけれど、世間がどれぐらい流行っているのかわからない。東雲めぐは無理だけど、キズナアイは行ける感じ??そもそもVRはどれぐらいの認知度?みたいな方向感覚が分からなくなる。こうなるとイタイのが、頑張ってすごいねん!!って言ってもそんなん当たり前やんって言われる場合もあるし、全く反応されない場合もある。(Suchmosの世間での認知度がホンダのCMのせいでバク上がりした瞬間はめちゃ面白かった。えっ。なんでいきなりみんな知ってるの?ってなった。)
・バランスの良い情報が入ってこない?のかもしれない。
ネットでの情報はもう自分にカスタマイズされたものしかくれません。テレビはつけとくだけで、ある程度網羅的に情報を提供してくれる媒体だったと思うのでそうゆう自動的に耳に入る情報元がなくなって、自分の持っている情報が網羅的かどうか、世間とずれていないかの確認ができません。これは、世間を知るという意味で致命的なのかもしれないです。マーケターとかなったらテレビ観たほうがいい気がする。
・テレビついてたら反射的に観てしまう
テレビの内容って結構目まぐるしく変わっていて。観る機会がないとたまたま観るとCMから番組から何から何まで初見なんですよ。そら観てまいますよ。今まで、CMの最初の1秒間ぐらいで「あ、あのCMね」ってなってちゃんと観てなかったんやなって実感しました。あと、テレビ観れるときの一番のコンテツはCMになります。番組ではなく。CMってすごいわ本当に。
つらつらと、TVなしライフについて書きましたけど、どうでしたでしょうか?
正直、ネット中毒者なので情報遮断した生活の実現!では全く無縁ですけど流行りに対する諦めができるのは楽だなって思っています。あと、色々知らないという事は、話し相手にとって、とても嬉しいことなのかもしれません。みんな夢中で好きなドラマの話をしてくれます。
これからもTVなし生活は続けていきたいのだけど、結婚して生活も変わりそうなので難しいのかもなー。。テレビっ子に戻りそう。
以上です。やまゆーでした