人生の山中にて

なんかあったら、書く

過剰が過剰でなくなる時

この動画の最初が渋谷のラブホ街から始まることを知って、〝リンスインシャンプー〟がどんなものか。いきなり、鮮明になる。凄まじい。

showmore/rinse in shampoo

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よく日本の技術はサービスに対して過剰すぎるということが言われる4Kや8Kの話とかそうだよねー。求められるサービス水準に対して、必要ないよね。と安易に思っていた。
ただ、ゲームでそうとも言えないことが起こって技術の進歩って一筋では扱えないなーと思った。
具体的なタイトルとしては、バイオハザード7、エースコンバット7である。
後者はプレーしていないが以下のリンクでどんなものなのか知った。
エースコンバット7』はもはや面白くないフライトゲームに成り果てた
 
バイオハザード7については、僕もなんか書いたのでよかったら読んでほしい。
バイオ7の恐怖という魅力 - 人生の山中にて http://yamayu.hatenablog.com/entry/2017/05/17/070636
 
この両者ともリアルを追求した作品だと思う。それは画質だけでなく音楽や操作性も含めて。その中で両者とも、プレイヤーにこれまでにないストレスを与えることに成功している。
バイオハザード7ではゲームと客観視できない恐怖を。エースコンバット7では、現実に起こるバーティゴ(空間識失調)をゲーム上で起こしている。
 
これは両作品ともに、今までは過剰な技術(リアルすぎる画質、音等)だったものがもたらしたものだと思う。
 
過剰なものが、過剰ではなく求められる水準に変わるのは、求められる水準側、つまり人間側のニーズが変わるからではない場合がある。
今回の場合は技術側が、今回のような“リアルなストレスを与えるゲーム”という水準を創り出したのだと思う。
 
イノベーションを技術革新と訳した日本語を批判する話は耳にタコになるぐらい聞いた。だけれど、技術革新として訳せる世界もきっとあるのだ。
 
8Kはどうなるのかわからないけれど。(どうなるんだろう。。)
 
安易に、『イノベーションは組み合わせ』だと現状の過剰な技術を批判するのは辞めようとこれを機に思った。