人生の山中にて

なんかあったら、書く

僕の好きな将棋の言葉

 
赤い公園よ、再び輝け!
 
将棋は、難しい。
難しいものには、必ずそのものを理解するための、文脈性の高い言葉が作られる。
 
将棋の場合、基本的には対局に役に立つ格言が多い(玉は包むように寄せろ等)のだけど、解説によく使われる特殊で魅力的な言葉も多い。
 
例えば、「詰めろ」「必死」とかは、ある程度将棋をしていたらとても重要な概念で。その考え方のおかげで対局中の自分の一手に意味をもたらしてくれる。
 
 
日常生活を送っていても普通に使ってたり、人生の選択でとても役に立つ言葉だったりする。
 
そんな魅力的で、日常生活でも呟いてしまう僕の好きな言葉をつらつらと並べていきたい。(再び勉強し始めるモチベを上げる意味でも。)
 
将棋での意味も書いてるけど、あまり信頼しないほうがいい。僕の解釈だし意味や効果は多様にあるので。
 
1.歩の突き捨て
【将棋での意味】
歩は1列に2つ置けない。なので、歩を進め、序盤で相手に取られることによって次に歩が手元に入った際に1列の中のどこにでも戦略的に置けるようにする事。
 
【好きな理由】
一時の犠牲による損害よりも、犠牲によって得た自由の方が強い場合がある。
 
歩の格言は沢山あって、「歩のない将棋は負け将棋」という格言もあるほど重要な駒。「歩の突き捨て」は、そんな中でも先を見据えた一見無駄に見える一手で、一旦最初の布陣に置かれている歩を相手に取られる。
 
序盤に歩を取られることは結構痛いのだけど、その代わりに取られた歩の列に歩を打ち込める自由を得る。時に、この戦略的に歩を置ける自由が、局面を決定付ける。
 
歩は有効に利用すれば相手に利益を与えずに、急所を攻める事や守る事ができる。また、この有効に歩を利用しうる盤面を作ること自体が、相手の手を鈍らせる。自由度や打てる選択肢の広さが単純な損得を超える場合があるというわけだ。
 
 
 
 
 
だから、将棋はやめられない。
 
 
 
 
 
 
 
2.玉の早逃げ八手の得
【将棋での意味】
王や玉を主戦場から、早い段階で安全な場所に一手離れておくことは終盤の8手分の得する。という意味。
 
 
 
【好きな理由】
この意味を実践で感じるまでどれだけの時間を費やさねばならぬのだ。。。
 
 
 
将棋には、「囲い」というものがあり、王を守る布陣を序盤で形成することが多い。この囲いの差で、終盤勝てるかどうかが決まることは往々にある。ただ、「玉の早逃げ八手の得」は囲いが崩される前や崩されつつある時に、他の駒で応戦して
ぐちゃぐちゃしているよりも王を一手動かしたほうが得だよ。という格言だ。
 
 
 
ただ、八手の得を感じることは僕にはできていない。
八手の得って、一回王を動かすのと八回相手が何かをするのと同等の価値があるってことやからね。正直、この格言嘘やろと思っているんですよ。
 
 
ただ、プロの将棋を全くわからないままで見ている時に、「ここで動かすの???王を??」という状況は多々ある。僕には見えない世界がそこにあるのだ。
 
 
 
道はとんでもなく長いのである。
 
 
 
 
だから、将棋はやめられない。
 
 
3.第一感
【将棋での意味】
解説の際に、よく出てくる。
盤面をパッと見て一番最初に思いつく手の事。
 
【好きな理由】
思考が身体にまで染み出している。パッと身体が思いつく、練りに練られた思考。
 
 
 
第一感という言葉を解説を聞いているとよく聞く。
「第一感、○○ですかねー」
「私は○○だと思いました。」
「じゃあ、その手順で一回並べてみましょう」
 
この解説の流れから並ぶ手順は、とんでもなく長い手数まで他の手と比較して評価が良い事が多い。
 
パッと思いついた手の背景にある思考の厚さが尋常ではない。身体が感じてしまった手なのに、その手が選ばれた理由が明快に説明される。それ以外が否定される理由を添えられて。
 
 
思考が身体に染み出している。
 
 
 
単純に考えて、第一感が最善であることが単純な棋士の強さ。なのだと思う。
 
機械は探索的に思考し、最終的に評価が高いものが選ばれた手を指す。その探索には、棋士からしたら超どうでもいいものもあるのだと思う。(だからこそ、新手が出たりして強いのだけれど。)
 
 
 
棋士は、最初に思いついたものが最強ならばそれでよいのだ。そのために準備をする。
 
最初に思いついたものが正しいかどうかを感じれるようにする。最善手を身体に覚え込ませる。
 
 
機械とは違い、選択肢を絞る第一感が強い人が強い。
(上の上まで行けばその第一感を疑える人が強いのかもしれないが。)
 
僕の場合、得意戦型が右四間飛車だから脳死で銀上がり。なのである。
 
 
 
これが僕の第一感。
 
 
 
思考の厚さが違う。先が長すぎる。
 
 
 
だから、将棋はやめられない。
 
 
 
 
4.それも、また。一局。
【将棋の意味】
重要な局面の選択で、どちらの選択をしても、それは一つの局(一回の勝負)として壊れずに成り立つ。勝っても負けてもそれは一つの局だ。と割り切るような心持ち。
(めちゃむずい。言語化むずすぎる。)
 
 
 
 【好きな理由】
 一局に命をかけながら、これもまた一局と手放す潔さ。
 
 
 
 
「まぁこの手は。。一局ですねー。」
「これは、一局なので解説しません。」
「まぁ一局としか言いようがありません。」
 
 
そんな解説ありか?
 
君ら相対していたら何が何でも勝つきやんけ?その執着や粘りを僕らは見にきているところもあるのに。その解説の手放し方はありか?
 
 
 
そう思ってしまう。
 
 
 しかし、手放す事も必要なのだ執着は毒だ。盲目にさせる。
 
 
 
これを一局と割り切る事。次の局の糧とする事。いや、糧とかそんな次の事も考えない。ただ、ただ、この選択は今ここにあり、優劣のつけられぬ一期一会の選択として存在しているのだ。致命的な落ち度は何もない。
 
 
ただ、長い歴史の中の一局なのだ。
 
 
人生の選択もきっとそうだ。色々考えてどちらを選んでも僕の人生だと思えれば。例えそれが、悲しい結末でも。
 
 
その選択のせいにはすまい。
 
 
 
手放そう。執着も、嫉妬も、妬みも、手放そう。
  
 
 
ただ、歴史の中の一人生として。
 
 
次がある。と思おう。
その局の終わりにいずれにせよまた、新しい選択がある。
 
 
 
今は、その一局面を。
真剣に、真摯に、臨むまでだ。
 
 
 
その結果については。。
 
それも、また。一局。
 
 
 
今はただ。手放しに盤面を見つめるのみだ。
 
 
 
だから、将棋は。
 
 
やめられない。
 
強くなりたいな。